学内行政の書類を幾つかつくって提出。
入力作業を続けるとともに、夜の報告の準備。アジア記者クラブ主催の「シンポジウム 新疆ウイグルとチベットでの騒乱をどう見るのか」でのパネリストになっていて、報告をしなければならない。この問題に関する雑感、上海協力機構と「三悪」のこと、そしてウイグルでの「暴動」をめぐる言説という三つの話題をすることにして準備。
今日も家事をしながらの作業だが、何とか夕方にはレジュメを作成し終えて池袋に。19時前から21時まで。終了後、帰宅。学会誌の投稿論文の査読を始める。締め切りを過ぎていた。
いろいろな仕事が立て込んできている。学会のニュースレターの原稿依頼、科研費の執行のための書類作り(北大の時には事務方が作っていた書類の多くを駒場では教員が作成する…もう慣れたが、当初は信じられなかった)。また、月末の蒋介石関連の会議だけでなく、来月の外国の学生たちとの交流会、1月の学会関係の研究会、そして次年度のある学会のアレンジなど、いくつもの調整をおこなわざるをえない。同時にいくつもの案件をハンドルするのは、なかなか大変なことである。パンク状態ではないが、研究に集中できないのが辛い。
早朝から大学に。学内行政の会議が三つ。議事録作成係。何とか昼過ぎには終わる。やっと仕事ができる。『高田日報』の入力が終了。また、蒋介石の高田時代に関する新しい史料を見つけ、それの収集に成功。これはうれしい。とても貴重なもの。月末の報告で利用予定。
夜、親戚との会合。上海ガニ。帰宅して、『高田新聞』の入力作業に移る。
外での仕事がないので、一日家で仕事をする。
高田の野砲兵第19聯隊の活動に関する日表の作成を続ける。家事をやりながらなので、仕事が寸断される幹事もあるが、それでも『高田日報』の途中まで入力が終わった。金曜日に報告がひとつあるのだが、その準備はほとんどできていない。何とかしなければ。
夜、酒を抜くことにし、家族の食事をつくってから、仕事を続ける。
1910年前後の高田の第十三師団に関する史料を見つけ、急ぎ閲覧しようとするが、その図書館が二週間の閉館に。インスペクションか。そこにメイルを出してみるとすぐに返事があり、史料の画像を送っていただくことに。ありがたいことである。
午前中から大学に。学生との面談が一つ。卒業論文の確認。昼は研究会。終了後、メディアの取材。一時間程度。その後、講義とゼミ。夜は、ゼミ生の結婚記念パーティー。二次会まで。
ジェームズ・リリー(James R. Lilley)元大使の訃報。山東生まれのアメリカ大使。この後のロイ大使は南京生まれ。まさにチャイナ・ハンズであった。戦前期に中国にいたアメリカ人の子息らが戦後のアメリカの対中関係を支えてきた。もちろん、昨今は色々な人が米中関係に関わっているが、1990年代まではそういった傾向があった。リリーの『チャイナ・ハンズ』はとても面白い読み物になっている。
午前中から月末の報告準備。蒋介石の高田時代の「日表」を作成する。野砲兵19聯隊がいつ、どこで何をしていたのかということを可能な限り再現したいと思っている。もちろん、一つ一つの活動に蒋介石や張群がはたして参加していたのか否か明確でないが、それでも目安にはなるものと思われる。
午後、メディアからの聞き取り。終了後、北京日本学研究センターがらみの会議。数年ぶりで、センター関連の会議に出席を求められた。ほとんど回顧というか、回想モードであるが、未だに記憶がしっかりと残り、話ができてしまうところに、かつていかに自分が全身全霊を注いだかよくわかる。
同じ会議に参加した大学の同僚とお茶をしてから帰宅。センターの話に触れると、どうしても血が騒ぎ、家族のための夕食を作ってから、ついつい自宅で酒を飲んでします。ほとんど家で晩酌はしないのだが…。
本当に久しぶりに休日。
たまったメイルに返事をしながら、一件ずつ書類などを作成して対応。これだけで半日つぶれる。
月末の自分の報告の資料づくりをはじめる。今週末にひとつ報告があるが、月末まで大きな報告などはない。
少し時間に余裕ができたので、現在たまっている原稿などをリストアップし、呆然とし、こんなことはしなければよかったと後悔。それでも、アメリカにいた二か月でだいぶ整理できた方かもしれない。ただ、『東亜』の日中関係の項目の締め切りまであと一カ月もないということを知り、焦燥感。
リストを作成して、ずっと前進できなかった仕事をひとつ断念。編者の方に御断りのメイルを出す。それなりに準備は進めていたのだが、年末までの予定を考えると、デッドラインまでに書きあげることはほぼ無理で、これ以上編者の方々に御迷惑はかけられないと判断した。もちろん、できそうにない仕事は最初からお断りすることにしている。それだけに、一度引き受けておいて、後からお断りするということはしたくなかった。忸怩たる思いである。
ようやく次の原稿にとりかかるだけの精神的な余裕ができてきた感じである。
夕方、家族と食事に行き、早めに帰宅して休む。本当に久しぶりの休日であった。
早朝から、月末の蒋介石シンポジウムのことで事務仕事。海外から、また国内からの参加者に原稿などを送る。また翻訳者に対する謝礼そのほか。
また、学内行政の書類そのほかを数点つくって提出。学内が書類書類になっている。公金にまつわる制度整備は結構だが、その書類作成が教員に来ていては研究をする時間はどんどん減っていく。
夕方から子どもが都内の中学校の文化祭に行くのについていく。それぞれの学校に校風があるので面白い。夜は親戚の会合。一年に一度、毎年会合がある。
ほとんど眠れていない状態で、引き続き中国語訳の作成。昼前に終わり、今度は他の方の中国語のレジュメを日本語訳。
その後、予稿集作成。150ページを越えるものになっており、書式を合わせるだけで大変である。その後、表紙や目次を作成。17時ごろ、ようやく全作業が終わる。
今週は『近きに在りて』とこの予稿集と、編集作業ばかりしていた気がする。
夜は会食。酒を飲みながら眠ってしまう。寝不足のためだろう。
公開国際学術シンポジウム
蔣介石研究の課題と展望:資料と課題」開催のお知らせ
日本大学文理学部人文科学研究所共同研究班(代表:古川隆久)・日本蔣介石研究会(代表:山田辰雄)・科学研究費〔基盤(B)研究代表:加藤直人〕・科学研究費〔基盤(B)研究代表:川島真〕・科学研究費〔基盤(C)研究代表:松重充浩〕では、蔣介石研究の先端研究領域をめぐる、下記の公開国際学術シンポジウムを開催いたします(参加費無料、通訳付き)。ご関心のある方は、是非ともご参加くださいませ。
1.日時2009年11 月29 日(日)10 時~ 17 時
2.会場日本大学文理学部百周年記念館2階第二会議室・国際会議場
3.プログラム
(1)10:00 ~ 12:00【第一セッション】(会場:第二会議室)
・テーマ「蔣介石と対外戦略」
・司会:松重充浩(日本大学) コメンテーター:土田哲夫(中央大学)、陳紅民(浙江大学)
・報告者(所属)「報告タイトル」
①裴京漢(新羅大学校)「蔣介石とアジア」
②家近亮子(敬愛大学)「蔣介石における日中和平の意味」
③呉景平(復旦大学)「蔣介石・宋子文と戦時中米関係」
(2)13:30 ~ 17:00【第二セッション】(会場:国際会議場)
・テーマ「蔣介石と史料」
・共同司会兼コメンテーター:山田辰雄(慶応大学)、古川隆久(日本大学)
・報告者(所属)「報告タイトル」
①郭岱君(スタンフォード大学)「柳暗く花明るきところに又一村:蔣介石日記と蔣介石研究」
②劉維開(国立政治大学)「蔣介石事略稿本および大事長編の編纂」
③住田良能(産経新聞)「『蔣介石秘録』の編纂」
※終了後、日本大学文理学部百周年記念館2 階会議室2にて懇親会(18:00 - 20:00)
を開催いたします(有料:有職者5,000 円、院生・学生2,000 円)。こちらも、ふるってご参加ください。
月末の蒋介石の会議の予稿集を明日までに編集して提出しなければならないのだが、その前に自分の原稿が終わっていない。蒋介石の高田時代に関するもの。『中国研究月報』に以前短文を出したことがあったが、それを膨らませる。作業を続けて、夕方には何とか予稿集向けの原稿を書き上げる。
16時過ぎから学内行政の会議。学内行政関連の書類を作ってから、夜にすでに出版した本の執筆者の会合に。重版のためのお祝い。終了後、そのまま帰宅。昼間に書いた原稿の中国語訳の作成を始める。このところほとんど眠る時間がない。
早朝から、今日の夕方の報告のレジュメ作り。日中間のいろいろなレヴェルでの歴史共同研究のことについて、closedな場で話すことになっている。
子どもらの夜のおかずなどを作りながらの作業だったが、15時前に何とか終わる。『グローバル中国への道程』の校正上の問題の問い合わせへの対応も。あと、『交流』という雑誌のインタビュー記録の校正もおこなって提出。
夕方、官庁からの聞き取りのあと、研究会で報告。あまりきちんとした報告にはならなかったが、議論は多く出される。終了後、懇親会。二次会まで。古い友人とも呑めて良かった。
ほとんど徹夜状態で『グローバル中国』の校正作業を進める。何とか半分程度まで進めて、大学に出る。昼過ぎにようやく校正が終了。岩波の編集者の方に駒場までいらしていただいて、提出。
昼、学生の研究会に参加。毎週火曜日に学生たちのランチョン型研究会がある。午後、やっとこの一週間たまった郵便物を見ることができる。メイルボックスいっぱいであった。また、溜まったメイルの処理も。
4限は講義。19世紀後半の朝鮮のこと。5限は外交檔案を読む。国民政府の外交檔案。日中和平交渉部分。ちょうど西安事件前後の外交檔案を読んでいる。
終了後、校正で問題が発生し、その調整を終えてから、官庁の研究会に。終了後、会合。帰宅してから、ゆっくりと休む。二日ぶりにたっぷり眠れる。
ほとんど徹夜状態。この年での徹夜は厳しい。
『近きに在りて』の編集作業。最終的な版下を作成して提出しなければならないことから、書式設定を統一し、また通しページを振って目次を作成し、最後は日本語、中国語、英語で表紙と裏表紙を作成して、背表紙までそろえて提出することになっている。
岩波の中国問題叢書『グローバル中国』校正の提出もあるので、急ぎ『近き』の編集作業をするが、全面的な編集なので、なかなか順調には進まない。駒場に出てプリントアウトしながら諸原稿をチェックしながら進めていく。最後の原稿が午後にきて、ページ数が確定。何とか150頁以内に収めることができた。最後に、表紙、背表紙のところで、マニュアルが一太郎仕様であたために頓挫する。ワードで作業できないことが判明したのだ。最終的には、鋏と糊で切り貼りして版下をつくることに。図画工作の世界である。
作業が終わったのが18時半過ぎ。編集作業にまるまる一日かかった。だが、若手の執筆陣、そして急な原稿依頼に応じてくださった執筆者の御協力もあり、充実した特集になったのではないかと考えている。19時過ぎ、出版社にお届けする。『グローバル中国』の校正はとん挫。明日に持ち越し。二日連続で徹夜になる可能性大。
早朝、月末の蒋介石の会議の最後の原稿が届く。これでほぼそろった。翻訳に回す。あとは自分の原稿で終わり。また、『近きに在りて』56号の巻頭言を書き始める。この編集作業もなかなか大変である。版下作製までをおこなうことになっている。
昼前に国際政治学会に。昨日の会議の内容を踏まえた学会行政のお仕事。午後、部会12「日中関係の過去と現在」にてコメンテーター。司会:毛里和子、報告:服部龍二「「田中上奏文」の戦前と戦後」、家近亮子「中国における「戦争責任二分論」の系譜―蒋介石・毛沢東・周恩来、日中戦争の「語り方」」、安田淳「中国軍の近代化と日中関係―海と空の日中安全保障環境」、討論:川島真、唐亮、というセッション。あまりきちんとコメントできず、頭の悪さを再認識。いつものことだが。
終了後、神戸空港に。JALはここから撤退するというが、確かにラウンジもなく、あまりコミットしていない様子。引き続き『グローバル中国』の校正作業を続ける。東京に着いてから会食。23時過ぎに帰宅。引き続き校正を続け、また『近きに在りて』の編集後記を終える。
早朝、校正作業と編集作業を続ける。
国際政治学会の会場に。広報委員会などの会合。夕方から、京都にて資料調査。新幹線で行くとすぐに着く。食事をすませてから神戸に戻る。
夜、編集作業を続ける。
早朝、翻訳にほぼめどが立つ。金浦空港に。9時の便だったので、6時半にはホテルを出る。何とか7時半前に到着。関西空港に向かう。
関西空港から神戸に向かう船は一時間一便。ちょうど行ったところだったので、一時間近く空港で翻訳作業の最後の詰め。注記の部分にいろいろ問題があり、筆者と調整。神戸への船は30分もかからない。
三宮に出て、先にチェックイン。校正原稿がどさっと届いている。新たに着いた校正原稿の前に、作業が遅れていた、交流協会の『交流』という雑誌に出るインタビュー記録の校正をして提出。
夕方、国際政治学会の会場に。A-1 東アジア国際政治史分科会(テーマ 「台湾問題」をめぐる国際政治)に。司会を担当。報告:井上正也(神戸大学)「『台湾問題』をめぐる西側協調の模索と挫折-日本政府の対応を中心に」、福田円(国士舘大学)「中仏国交樹立(1964 年)と台湾問題 ―「一つの中国」原則をめぐる葛藤と妥協―」、討論 清水麗(桐蔭横浜大学)、家近亮子(敬愛大学)。50名前後の参加者。議論も極めて活発。
終了後、学会の評議会。昼の理事会に出られなかったので、評議会に出る。その後、分科会の懇親会に。二次会まで。ホテルに戻り、『近きに在りて』の編集作業。56号は小生の担当となっている。月曜日には版下を奇麗にそろえて提出しなければならない。
翻訳の仕事を続ける。来週の月曜日までにある雑誌の版下をそろえて出さねばならない。雑誌まるまる一冊の編集担当になっており、巻頭とか、末尾にいろいろ書かねばならない。これも御勤めである。一か月近く、あるいはもっと続けているこの翻訳仕事も、この雑誌関連である。
史料調査をしながら、翻訳仕事。何とか結論の手前まで到着。
夕方、学生と面談。その後、東アジア史フォーラムの食事に参加。松井の活躍が話題に。終了後、準備委員会議。来年の会議のテーマなどを決める。その後、準備委員会の幹事の方とさらに詰めの会議。およその方向付けをまとめる。
最大の収穫は食事のときに韓国の外交官出身の方と同じテーブルになり、1992年の中国との国交正常化、台湾との断交に際しての方法、とりわけ台湾との断交のあの「拙さ」について、その原因をうかがえたこと。誠に面白い話で、これまでの自分の認識を恥じ入る感じであった。今回、韓国の1970年代の外交文書を見て、韓国がカナダ、日本などの台湾との断交の姿をとてもよく研究しているのに、どうして1992年にあのような方法をとったのか、不思議でならなかった。わずか一日でこのような機会に恵まれて知的に興奮した。
10時過ぎに会合が終わり、ホテルに戻る。ほとんど飲んでいないので、翻訳仕事を続ける。
早朝から翻訳仕事。朝食を摂ろうと思ったところ連絡があり、それに応対しているうちに集合時間に。
韓国の外交文書を見に行く。実に有意義な時間をすごすことができる。昼食をはさんで夕方まで閲覧。終了後、北大時代の学生と、東大のゼミ生でこちらに留学している学生らと会食。ホテルに戻って少し飲んでから休む。
懸案があまり片付かないまま史料調査で時間が過ぎているので、明日は何とか先に進めねばならない。引き受けるかどうかすごく迷っていた仕事をひとつ引き受けることにする。
早朝、あまり早く起きられずあわてて羽田空港に向かう。ソウルに向かう。
機内で翻訳の仕事を進めるが、なかなか先にいかない。
ソウルは思ったよりも遥かに寒い。ホテルについてから、ソウル大学に。史料調査。終了後、ホテルに戻り、こちらの学生と面談。夜は、知人と会食。二次会。…三次会。
この一週間、司会や報告などが4回もあった。今日がその最後である。教科書会社の世界史Bの会議で、自分の担当しそうな部分の原稿を練習のために書くというもの。
午前中から書き初めて、なかなか進まない。子どもが振り替え休日で家にいるので、食事などをこしらえて気分転換するが、およそ7割のところでタイムアップ。入れるべき事項があまりにも多すぎて、修正のしようがない。この事項を減らさないと、いけないのではないかと強く感じる。
夜、その会議に赴くが、途中前回の議事録をみると、必ずしも小生の報告は義務化されていないことに気づく。口頭では言われていたのだが正式ではなかったらしい。だが、資料もつくってしまったので、報告。他の先生の部分もあったが、とても参考になった。「世界史」をめぐる頭の体操である。
明日の朝が早いので早々に帰宅する。酒も抜いて早めに休む。
九州地方は荒れ模様の天気。
午前中、日中歴史認識問題に関する報告をする。他のみなさんはきちんと論文を書いておられるのに対して、ゲスト参加者なので、簡単なレジュメになってしまう。それだけに雑駁な報告になってしまった。小生のあとは、戦後初期の歴史教科書にみる言説の形成に関する報告。きわめて興味深くうかがった。
昼過ぎに離れて、福岡空港に。東京に戻る。『読売新聞』に白石先生が東アジア共同体をめぐる議論に意見を述べておられる。興味深く読む。
夜に会食。二次会。