調査旅行二日目。
文滙報本社ビル、上海社会科学院、復旦大学を訪問。それぞれで聞き取り。文滙報で聞くことができた新興メディアとの関係は興味深かった。…ただ、通訳担当でもあったので、やや頭が疲れ、呆けた感じになる。同時通訳をやると、この感じになる。
朝、羽田空港に。早朝便で上海へ。現在進められている共同研究のための聞き取り。
昼に虹橋空港到着。ホテルで休憩ののち、上海国際問題研究院に。ここで日頃はあわないような、欧州研究者から話を聞く。共同研究になると、日頃の自分の研究では、なかなか出会わない研究者に遭うことができる。
会食の後、上海の基本的観光。バンド方面に。
一日中、遅れいていた年賀状の処理。何とか最後まで書き終えて投函。
今年は二度おみくじを引いた。ふたつとも、おそろしいほど的確であったように思う。
明日からの出張の準備。上海での調査。
年賀状を続ける。
午前中、横浜に戻り、家庭に必要な買い物。そのあと、子どもミュージカルを見てから帰宅。この日も、比較的早く休む。疲れがなかなかとれない。
英語の原稿の締め切りが、ロンドン時間の12月31日いっぱいなので、明け方まで英文の作業を続ける。だが、要求されているところまではいかず、しかたなく提出。
アレルギー体質なので温泉の泉質には敏感だが、今回はあまり合わない。年賀状の作業をはじめる。午後、初詣に。日本寺という行基開祖の古刹。お御籤などひいてみるが、そこそこの内容。
この日も夜は早めに休む。
大晦日。しかし、英文の修正はまだ終わらず。字数を減らす作業がおわらない。
親族の旅行のために昼過ぎには出かける。夕方にはみな集合。そのまま忘年会兼宴席。毎年恒例なのだが親戚が増える感じ。
疲れているためか、22時前にはダウン。24時前後に再び起きるが…。
英文の修正とトリミングを継続。年賀状もかけず、大半の時間をこの作業に費やすことになっている。
先般の野田総理の訪中については、比較的高い評価が中国側でも見られる。ただ、時間があまりに短かったのではないか、とも。しかし、中国内部では2011年の中国外交は失敗であったとの評価がもっぱらである。
英文修正の仕事を継続する。なかなか終わらない。編者からの要請だけでなく、字数の短縮という仕事が加わった。
昼に、ひとつ仕事がらみの忘年会。日中関係の現場に関していろいろな話をうかがう。
夜も一つ忘年会。今年は本当にいろいろあった年なので、ひとつひとつの忘年会がディープである。
英文の修正作業、またそのほかの雑務を続ける。
昼から夕方にかけて、何人かと面談。この年末の段階で会わねばならない人に会う。
夜、忘年会。大変お世話になっている学界関係の方。いろいろ宿題がたまっていた。
英文の修正を続ける。
駒場に出て学内行政の雑務を進める。夕方、編集者との会議。新たに編者となる本がある。夜は、研究者仲間との忘年会。比較的早めに帰宅。
午前中、短文をひとつ提出。
昼前後の便で帰国。今回はあまり遅れず羽田に向かう。夜は、研究会。核をめぐる安全保障についての話を聞く。終了後、懇親会。これで今年の出張も終了。
引き続き英文の作業をつづける。
引き続き史料調査。図書館はあいている。
また、英文の修正を続ける。上海も比較的冷えている。中国経済の厳しさを指摘する記事が少なくない。欧米経済の低迷がそのまま対中投資に響き、さらに不動産価格の低迷、下落にともなって、政府・党・軍の錬金術が機能しなくなっている。内需拡大とは言っても、これでは限界がある。ただし、生活の実感としては相当に豊かになっているし、経済の低迷を実感している人がどれくらいいるかというのは別問題だろう。
そして、共産党政権そのものに対する批判的言説も以前にまして強まっているようだ。知識人のレベルでもそれが顕著である。
史料調査を継続。
上海でも「クリスマス」が定着してきている。日系のスーパーなどでは、日本人が大量にシャンパンやチキンなどを購入している。
英文の修正を継続する。なかなか先に進めない。
学界関係の業務をおえてから羽田に。早朝便で上海に。到着後、史料調査。
提出を求められている、oxford handbookの仕事を進める。英文の短縮を求められている。また、編者から求められた個々の確認箇所をつぶしていく。これが結構時間を要する作業である。
また1月の上海での調査のアレンジも。
朝、広東粥、オアーミスワの朝食。これも金門らしい。
午前中、珠山の宗族の行事を参観。大陸からも一族がいらっしゃる。そしてまた、このような場にふさわしい“もめごと”にも出会う。
3月に行う予定の金門関連の会議についての打ち合わせ。
昼過ぎの便で松山空港に戻り、空港で学生とあってから、日本行の便に乗る。
午前中、メイルの処理、また依頼された短い原稿をいくつか提出。
昼前に空港に向かい、金門へ。22日の冬至の日に珠山でおこなわれる宗族の儀式を見学するため。到着後、これまで見ていなかった施設や、新たに発見された「坑道」などを見学する。
夜は国立金門大学の方々との会食ののち、珠山の四合院の民宿に宿泊。金門コーリャンをのみながら、雑談。これが金門の醍醐味である。
学内行政の仕事が続く。まだ落ち着かない。
午前中から午後にかけて市民講座での講義とゼミ。終了後、川崎経由で羽田に。台湾に向かう。到着後、会議が一つ。松山空港が便利になった分、このような会議が入るようになった。
メイルの処理などにおわれる。
学内行政の仕事のとりまとめ。また、入力作業など。教務委員というのは、どの大学でも結構大変である。
午前中、シンクタンクの会議。終了後、研究者との会合、打ち合わせ。午後、駒場に戻り、メディアの取材。
夜は横浜で忘年会。行きつけの店。
某国大使館で中国問題の非公開の会議。最近、中国問題に関心を持つ第三国と日本の中国研究者との会議が比較的多く開かれている。
この会議で、2011年の会議物は終了。報告やコメントなども終了。今年は辛亥100もあり、また地震で3-5月のイベントの大半が流れたこともあって、年の後半に会議が集中した。
午前中まで学内行政の書類作りに追われる。ようやく問題解決か。
新幹線で神戸に向かう。神戸大学にて中国現代史研究会。
前半:川島真著『近代国家への模索 1894-1925』合評会(14:30~16:00)/書評報告1(石黒亜維 大阪商業大学)、書評報告2(川井悟 プール学院大学)/コメント(川島真)
後半:川島真会員 研究報告(16:10~17:30)報告タイトル「中華民国外交档案から見る日華断交―椎名訪台と田中・大平訪中―」
終了後、懇親会。中座して神戸から横浜に戻る。
早朝、滞っていた学術雑誌の査読を一件提出。
明日のレジュメの作成、および学内行行政業務。駒場で書類づくりに追われることに。
修士論文を出す学生たちは今日が締め切り。何とかぎりぎりに出し切ったようで安心する。
夜は会食。
早朝、なんとか学内行政の資料を作成し終えて送り出す。
午前中に二つの会議。何とか自分の職責をはたした感じ。ただ、午後もその問題の処理が続く。夕方は教授会。夜は共同研究グループの忘年会。二次会まで。
早めに帰宅して週末の報告の資料作り。
学内行政の書類を作り続ける。だが、途中新たな要件がわかり、修正に次ぐ修正を加えることに。
午前中、別件の学内行政の会議。学内にいろいろな教育設備があることを教えられる。昼には研究会。午後は講義とゼミ。終了後、ゼミの忘年会。
帰宅してから学内行政の会議用の書類作り。
もともと野田総理が訪中するはずであった日。南京虐殺事件の日に相当。中国側はこの日のもつ意味に当初は気づいていなかったのだろうか。
本日から予定されていたアメリカ出張はとりやめた。あまりに学内業務が佳境であるため。
午前中から市民講座で講義とゼミ。終了後、駒場に出て学内行政の会議。終了後、JAPAN ECHOの会議。終了後、会食に。
いくつかの校正作業を進める。
早朝、羽田空港に。長崎に向かう。長崎到着後、3月のシンポジウムの打ち合わせ、また長崎歴史文化博物館閲覧室での史料調査。毎回来るたびに発見がある。そのあと、長崎県に委嘱された委員会に参加。歴史関係のこと。
終了後、空港に戻って帰京。引き続き週末の報告の準備。
学内行政がらみの仕事を進める。教務委員としての仕事がとても重い。また、そのほかの仕事も。
週末の報告の準備をはじめる。
夜は実家に。
学内行政の仕事が佳境に。新しい制度の下で、いろいろな問題が生じていることがわかる。北大にいたころと、だんだん同じような感じになってきた。
学生の論文にコメント。この時期には致し方ない負担。
千葉大学でのシンポジウムに。武蔵小杉から一本で行けるので便利になった。
辛亥100千葉大シンポ「近代日中の交流と軋轢」(場所:西千葉キャンパス 社会文化科学系総合研究棟2階マルチメディア会議室)。
パネラー:王宝平(浙江工商大学)「明治前期に来日した中日知識人の文化交流」、見城悌治(国際教育センター)「辛亥革命期における千葉医専の留学生支援」、川島真(東京大学)「中国の20世紀における辛亥革命の意義」/司 会:山田賢(文学部)
終了後、懇親会。早めに帰宅。
学内行政の仕事、学会関連の仕事、そして教科書関連の仕事などをおこなう。
午後便で上海から帰国しようとするが、前を行っていたシンガポール航空の飛行機から煙。人が飛行機から滑り台で脱出。この結果、滑走路が閉鎖。数時間の遅れに。
夜の研究会の最後のほうにようやく到着。終了後、忘年会。
ここにきて、学内行政の仕事が忙しくなってきている。今週はひとつのヤマである。
ただ、論文のこともあるので、上海にて調査。また、教科書がらみの仕事も。2011年は結局辛亥にあけくれ、まとまった仕事ができなかったような気もするが、それでもいくつかは原稿を書くことができた。
朝、市谷に。防衛省の見学ツアーに参加。空自の方のお誘い。極東軍事裁判の行われた場所、また陸軍士官学校跡地などいくつかあらためて見たいものがあったのと、自衛隊の殉職者の方々の慰霊施設を見たかったため。
終了後、駒場でひとつ研究会。また面談が数件。1月の会議のことなど。あとは講義とゼミ。終了後、学生とのみ。