朝、いろいろなリスケへの対応。夏前後以降が異様に忙しくなる可能性。また校正作業を進める。
午前中はインタビューが二件、中国とポーランド、欧州諸国との関係性とポーランド外交全般について。終了後、空港に。機内では校正と短い原稿。
4月に予定されていた。中国+17の会議がどうも開かれないこと、また今回の新型肺炎が一帯一路に与えるダメージについても考えさせらる機会になった。
九年前のこの日のことを思い出す。あの瞬間、自分は大学の図書館の最上階にいた。窓に面した机でパソコンを叩いていたが、突然窓が軋み始め、そのあとの揺れで本棚から本が雪崩だし、そして悲鳴が館内に鳴り響いた。あれ以後、震度4程度では驚かなくなった。変な耐性がついたものである。この新型肺炎もそのような耐性が求められる嚆矢になるのだろうか。中国のように、最先端から、貧困地域まで全てが存在している国では、もともとある「風土病」のようなものが、急に国内で拡大するリスクがある。そして、中国のグローバル化でそれが世界に広がる可能性を秘めている。つまり、これまでもこうした病気はあちこちであったのだろうが、それは「風土病」のようなものとして処理されてきたのかもしれない。それが中国経済の発展、人の国内移動の活発化などでまずは国内で、そして世界へと広まることになったのではないか、ということである。だとすれば、これからもなんどもなんどもこうしたことがあるかもしれない、ということになる。」
早朝、パワポ資料を作り終える。とりあえず作っておけば安心。そのほか、事務処理、学内行政書類などなど。卒業式関連の書類などを教員が作っていかねばならない。
午前中、ワルシャワ大学に。学生を集めてのシンポジウムができなくなったので、少人数での研究者対話に。それでもとても有意義。終了後はランチ。
午後は歴史研究者たちとの会議。ここでもまたポーランドと周辺諸国との歴史対話の事例を学ぶことができる。終了後、懇親会。時差ボケであまりに眠くなる。二次会まで。
学内行政いろいろ。経費の使用がコロナ問題で大混乱。繰越せないわけではないが、3月末までに使い切れというのが基本線。経理担当の方々の悲鳴が聞こえてくる感じ。また、4月以降のスケジュールの混乱が目に見える。中国からの学生の受け入れなどの延期措置も。
浙江省にとどめ置かれている学生もおり、彼らが4月に戻れなかった場合に、その単位はどうするのか。ビザの更新をどうするのか、など、課題が山積。
午前中、特にアポがないので、明日のPPTやら原稿の手直しやらで時間を過ごす。
午後はこちらの大使館、また官庁での聞き取り。ポーランドと中国との関係性や、国内政治などについて理解を深めることができる。夕方は、ワルシャワ大学にて学長表敬。ショパンがいたという現在の日本学科の校舎も外から拝見。
夜は会食。
4月のある研究会で「戦争慰留問題」について話すことにする。20世紀末から使われていたが、対日新思考の対抗概念として改めて用いられた考え方。これが中国の昨今の対日歴史政策の基調。日本で知られていないので、また新しい資料も入手したので紹介することにする。
極めて残念なことに5月のイタリアでの会議が延期に。とても楽しみにしていたので、本当に残念。イタリアでの感染拡大を見れば当然か。ほぼ同時期のイスラエルでの会議も黄色信号。さらに同月のアメリカの大学からの招聘講演についても延期が示唆されている。この混乱は相当に長引きそうである。
朝、成田空港に。教科書の作業、校正作業、またワルシャワでの報告レジュメ作成。成田も閑散としている。そのままLOTでワルシャワに。ほぼ予定通り到着。引き続き、レジュメなどの作業。
夜は、会食。ポーランドの内外政について色々うかがうことができ、極めて有益。早めに休む。
午前中、校正作業や翻訳のチェック、そして入港直前の教科書関連のゲラの確認。
また学内行政の仕事も。卒業式関連の対応策。午後、学生の面談が1件。夜は会食。明日からの欧州出張だが、会議開催の形態が変化。やはり大学などでのシンポジウムはできないとのこと。